三代純平さんと佐藤正則さんによる『日本語学校物語』(ココ出版)が出たのは、昨年12月のことでした。表紙にはこのように書かれています。
1980年代、バブル景気、留学生10万人計画……。日本語教育の変革期において、「現場」の教育者たちは、何を考え、どのように学習者と向き合い、行動してきたのか。
8人の仲間に時間をかけ、真摯に向き合いインタビューを続けてくださったお二人に感謝の念でいっぱいです。お二人は、2019年に以下のような論文を発表されました。
三代純平・佐藤正則(2019)「日本語学校の社会的アイデンティティ構築の歩みー「箱根会議」という経験をめぐるライフヒストリー」(『言語文化教育研究』pp.169-189)
/https://www.jstage.jst.go.jp/article/gbkkg/17/0/17_169/_pdf
しかし、「論文では多くの人に読んでもらえない。本にしよう!」と考えられたのです。本書の「あとがき」には、このようなことが記されています。
思えば、本書の企画が始まったのは、奥田先生に出会ったことでした。科研のプロジェクトの一環で、80年代の日本語学校の先生たちにインタビューすることになり、一人目として奥田先生にお願いしました。2016年の1月でした。(p.213~214)
何年もかけて誕生した『日本語学校物語』ですが、ある意味ベストのタイミングでの登場だったと言えるのではないでしょうか。日本語教育の大きな変革期にあり、あれこれ思い悩む先生方の多い中、本書は皆さんにとって何らかの「考えるよすが」になる貴重な存在であると言えましょう。ぜひお手に取ってご覧ください。
1章 日本語学校物語 序 佐藤正則
2章 学習者への経緯と感謝を心に 西原純子さん
3章 留学生に学び、留学生を守る 小木曽友さん
4章 日本語教師を続けなければならない 江副隆秀さん
5章 日本語というリンガ・フランカで世界の友を持つ 奥田純子さん
6章 型にはまらない、自由な日本語教育をめざして 山本弘子さん
7章 挑み続ける心を忘れない 加藤早苗さん
8章 つながりからつくる、つながりをつくる 嶋田和子さん
9章 なんぼのもんじゃい! 緑川音也さん
10章 日本語学校の社会的アイデンティティをつくる
―「箱根会議」の記憶― 三代純平
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『日本語学校物語』を読んで、いろいろなことが想い出されてきました。また、「今、活動していらっしゃる方々」にお伝えしたいという思いが沸き起こってきました。少しだけ記させていただきます。
1980年代から雨後の筍のごとく生まれてきた日本語学校。さまざまな課題を抱え、負のイメージで語られることも多い中、現場では真剣に学習者と向き合い、日本語教育を進めてきました。
他分野・他領域の人々も巻き込み、みんなの努力・連携でやっとできた「日本語教育の推進に関する法律(以下、推進法)」(2019年6月)、ここから本格的に「山」が動き始めました。さらに、2023年6月に「日本語教育機関認定法※」ができ、翌年4月から施行されるに至りました。
※日本語教育の適正かつ確実な実施を図るための日本語教育機関の認定等に関する法律
揺籃期から活動を続けてきた私たちは、「やっとここまで来た。でも、ここが出発点でもある」と思っているのですが、巷ではさまざまな声が聞こえます。
*登録日本語教員になったからって、何も待遇は変わらないし、もっと他に
やることがあるんじゃないですか。
*日本語教員試験の内容や実施に疑問だらけですね。もっと考えてほしいです。
*認定制度になって、国が管理するのが目的ですか。
私は、「何が・どう変わった/変えられた」と受け身の姿勢で捉えるのではなく、「なぜ変わったのか/変わる必要があったのか」や「変わることで、その先にどんな可能性があるのか」といった視点で見ることが大切だと考えます。本当に大変な状況にある方々には「そんな悠長なことは言っていられない」とお叱りを受けるかもしれません。でも、揺籃期から悩みながら、仲間と共に一歩一歩進んできた私は、そうお伝えしたいと思います。
*でも、どんどん仲間は他の業界に行ってしまいますよ。
*ベテラン教師は、この世界を離れようとしていますよ。
*若い人は入ってきませんよ。
そんな声も多々聞かれます。本当にそうでしょうか。また、そうだとしたら、「どうしたらそれを解決できるのか。どんなことを新たに始めたら良いのか」をみんなで一緒に考えてみませんか。
私は、現在78歳ですが、まだ現役で仕事をし、日本全国を駆け回っています。「なぜそんなにエネルギーがあるのですか」とよく聞かれますが、それは「やりたいこと/やらなければならないこと」が私の胸の中にあるからだと思います。言いかえれば「夢」がいっぱいあるからだと言えましょう。
専業主婦時代、「いつかは働きたい!」と思い続けてやっと得た日本語教師という仕事。あの時の新鮮な驚き・楽しさは、今でも目に浮かびます。初めての学習者はアメリカ出身のハワードさん。彼はプライベートレッスンをとても楽しみ、そのうち奥さまのロビンさんを学校に連れてきました(「一緒は恥ずかしい」と、 別々のレッスンでしたが・・・)。こうした「楽しさ・やりがい」のたくさんの点が線になり、面になり、立体となって私の中に存在しています。
もう1つ大切なこととして、「日本語教師の待遇改善に向き合うこと」があります。それは、上で述べた私の出発点が大きく影響しています。専業主婦から日本語教師になった私は、社会とつながり、仕事ができることで、「楽しい!やれるだけでハッピー!」などと考え、待遇のことなどほとんど考えていませんでした。しかし、それから何年か経って日本語学校の教務主任に突然任命され、「大きな間違い」に気が付いたのです。
日本語学校で働く先生方が、安心して、笑顔で働ける待遇改善が絶対に必要だ。今の状態を何とかしなければ!
教師の熱意・善意・やる気に支えられ、学校現場は活気に満ちていましたが、経営者は教師の待遇には無関心、いや、日本語教育自体にも~~~。いくら「連絡」「お願い」をしても返事がない経営者に、理解してもらおうとあれこれ力を尽くしたものです。2012年3月に日本語学校を離れ、一般社団法人を立ち上げ、今はフリーで活動していますが、ずっと「日本語教師が安心して、いきいきと活動できる仕組みづくり」には関心を持ち続けています。これがなければ、日本語教育の推進を図ることができず、「推進法」の目的に書かれた「多様な文化を尊重した活力ある共生社会の実現・諸外国との交流の促進並びに友好関係の維持発展に寄与」を実現することはできません。
三代さんと佐藤さんの『日本語学校物語』は、私に<日本語教育の過去・現在・未来>を改めて考える良い機会を与えてくれました。これからもさまざまな方々とさらに対話を重ね、活動し続けていきたいと思っています。自分自身の働き方を変えながら、<世代共存>を大切にして日本語教育の世界に身を置き続けたいと考えています。
皆さま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
