説明:ある日私のところに、モンゴルから13冊の漢字の本が届きました。それは、ウランバートルで長年活動を続けていらっしゃる中西令子さんからのプレゼントでした。私はこの思いがけないプレゼントに感動。中西さんに「この漢字の本が出来たプロセスについて是非書いてください」とお願いしたのでした。皆さま、是非ご覧ください。
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<わたしたちの「漢字ナーダム」>
ナーダム
モンゴルでは、年に一回、7月11,12日に「ナーダム」と言う、国を挙げてのスポーツの祭典があります。これは、競馬(子供たち限定・・鞍なしで乗ります)、弓(男女)、そして相撲(土俵なし、制限時間なし)の三種のスポーツ競技です。
主なのは、首都のウランバートルで行われますが、それぞれの地方でも別の日に開催されます。この時期は〃ナーダム休暇〃として、土日を挟むと1週間から10日ぐらい職場は休みます。
そもそも「ナーダム」と言うのは、名詞では「大会・祭典」ですが、動詞にすると「遊ぶ・楽しむ」という意味になります。
2016年の、ある日のことです。三人の日本人が、モンゴルの初中等の日本語学習について話していました。
その時のテーマは漢字学習でした。モンゴルは非漢字圏ですから学習者にとって漢字は、線が込み合ったりしたものや、絵のように見えるものだとか、また数の多さから何か敬遠されるきらいがあるものです。漢字を習い始めた頃は楽しんでいた子も、次第に嫌いになる傾向があります。理由は、音読み・訓読みがあって、どんな時に音読みを使うのか、訓読みを使うのか迷ったり、筆順を覚えるのが面倒だったり、やがては漢字の数の多さに悲鳴を上げることになるのです。
その漢字をどんな言葉に使うのかさえ分からないまま、漢字だけをひたすら書かされる、音・訓読みだけを覚えさせられる。子供たちにとってはきっと大きな負担だと思います。
「漢字って、知っていたら役に立つよ」などと子供たちをひきつけるスキルを持っていれば、先生も漢字の世界を一緒に楽しめるのではないかと思ったのです。
そこで私たちは、中学生・高校生を対象にした漢字の競技会をしたらどうかと考えました。
ネーミングは、そうです、「漢字ナーダム」。モンゴル人にはこれがぴったりだと一人が言いました。
参加人数は一校につき、中学生5名、高校生5名です。
「第一回漢字ナーダム」を2016年9月に開きました。参加校は7校でした。
「第二回漢字ナーダム」も参加校7校でしたが、第五回になると12校参加になりました。
ここに大きな課題がありました。地方での日本語学習者や引率の先生たちにとって、ウランバートル往復の交通費、宿泊費、食事代などは自己負担でお願いするしかありませんでした。
一番遠い所からは、片道420キロ、バスに8時間揺られてきます。「漢字ナーダム」開催の
扉の前には毎回 費用と言う壁が立ちはだかりました。
会場は、モンゴル国立教育大学の講義室を無料で提供していただきました。参加賞やスタッフのお茶は、在モンゴル日本人会や個人の方々からの寄付金で賄うことができましたが、壁を超える考えを思いつきませんでした。
第六回漢字ナーダムを
そんなとき、モンゴル・日本人材センター(日本センター)に国際交流基金から派遣されていた藤野紀子さんと言う方が、「基金への助成金申請」を提案、尽力してくださいました。
幸い、懸案の費用については基金から助成金が出ることになり、「第六回漢字ナーダム」開催に大きな弾みがつきました。
モンゴルの最西端バヤンウルギー県(ウランバートルから1300キロ)にある高専から、ウランバートルに来るよりもロシア国境の方が近いダルハンやエルデネトという街から、逆に、中国国境の方が近いサインシャンドという街から・・全部で17校が参加表明をしてくれました。
バヤンウルギ―県の人たちの多くはカザフ族です。違う言語・宗教を持っています。私たちは、「バヤンウルギ―のことを知ろう」「カザフ族の文化を知ろう」と、もう一つテーマを掲げました。
あと一つの進歩は、これまで日本人中心で企画開催してきた「漢字ナーダム」を、二つの学校のモンゴル人の先生たちが中心になってやるということでした。
できないときにできることを
そして、先生たちは毎週一回集まり、担当を決めたり競技内容を話し合ったりしました。
「第六回漢字ナーダム」開催まであと2週間、というある日、モンゴル全土に衝撃が走りました。
新型コロナの初めての市中感染者が出たというニュースが早朝のウランバートルに流れ、登校途中の子どもたち、すでに登校していた子供たちも即帰宅。それからロックダウンに入りました。2020年11月11日のことです。
長いロックダウン、そしてオンライン授業、ここで、「漢字ナーダム」をオンラインでできないかと言う意見もありましたが、ノウハウを持っていませんでした。
2021年夏、ロックダウンの一時解除の合間に、藤野さんと話していて、「漢字本」の作成を思いつきました。費用は日本センター(基金)から出していただけるということでした。夏休みが終わる頃、初中等の先生たちにオンラインで計画を話しました。
賛同してくれた学校はまだその時は少なかったですが、少しずつ増えていき、最終的には18校になりました。モンゴルで日本語学習をしている初中等校の70パーセント近い学校が参加することになりました。そこで、牧久美子さん(元日本語教師)にフォ―マットを作ってもらい、先生たちにA5サイズの用紙に、漢字一つ書いて、音訓読み、例文、筆順、そして、その漢字の成り立ちを絵で表現させてくださいと申し伝えました。
成り立ちは、自分流でもいいということにしました。
ただ、いくつかルールは出しました。それは、
・自分で考えること
・絵や例文などはインターネットから取らないこと
・できるだけ形式を守ること
・モンゴル語では書かないこと
などです。
そして、この作品集は競技会ではないので〃いい、悪い〃の評価はしないこととしました。
紙面を通した交流が目的です。
11月に作品はある程度集まりましたが、中には分かりづらい字があって、
「これは教師が全作品を、フォントを揃えて書き直し、絵だけを残すようにしたほうがいい。だって、大勢の人の目に触れるんだから」
「そうだ、これは本にするんだから、きれいなほうがいい」
「いや、このままでいい」
と言う意見が激しくぶつかり合いました。
結局、子供たちの作品をほぼそのままで載せることにしました。
12月末までに集まった作品は400を超えました。
一枚一枚見ていると、私たち大人には考えもつかない想像力、アイディア、吹き出しそうになる例文、さすがモンゴルだなあと思える絵などが次々と現れました。モンゴルの子どもたちは、画一的だという既成概念を払拭するようなそんな表現力が見られました。
これを学校ごとに整理してくれた先生がいます。その後、400余りの漢字をどう分けるか、画数で分けるか、レベルで分けるか、学校ごとに分けるか、学年ごとにするか、いろいろな案がありましたが、多読本形式にするという基本に戻り、レベル毎に分けることにしました。
スキャンして送ってもらった漢字をPPTに載せて、一巻を40ページで統一していきました。同じ漢字が何ページもありますが、それぞれの感性で描かれたものですから、楽しんでほしいと思いました。
モンゴルは輸入大国です。コロナ禍で今でも中国との国境が封鎖され、流通が滞っています。それに合わせて物価も高騰しています。昨日までの印刷代が、突然今日値上がりすることもあり得ますし、何よりも紙がなくなる恐れもあるという状況の中で、整理に追われました。
日本センターから最終的にいくら融通してもらえるのか、不安もありました。
本、完成!
こうして3月25日、本が出来上がりました。
1~12巻は子供たちの作品です。13巻目は、この5回の「漢字ナーダム」でやった漢字のゲームの紹介です。これは、先生たちに授業でぜひ使ってほしいと思います。
ちなみに、表紙の絵は、白川フォント(白川静古代文字フォント)の使用許可をいただきました。絵そのものは漢字の〃字〃ですが、モンゴルの民族的な住まい〃ゲル(家)〃に子供がいるイメージです。以前、JICAの協力隊員であった山口智加さんがデザインしてくれました。
モンゴル・日本外交関係樹立50周年
今年はモンゴル・日本外交関係樹立50周年と言う大きな節目の年です。
私たちは、モンゴル日本語教師会初中等部として、漢字本作成をしました。
いつも面倒なことを頼んでも受け入れてくれたエンフプレブ先生・ムンフザヤ―先生、地味だけど頼りになるルーギー先生、ボルガン先生、責任感がすごいバースカ先生、ツェツェグマー先生、人一倍喜んでくれたドラムスレン先生、エンフトヤ―先生、修正を全部引き受けてくれたナルマンダハ先生・・コロナ禍や諸々の事情により日本人教師が少なくなったこのモンゴルですが、自ら伸びていこうとしているモンゴル人の先生たちが大勢います。
モンゴルの初中等教育の先生たちはたくましいです。子供のことを誠意をもって考える先生が多いです。そんな先生たちと喧々諤々としながらも仕事ができたこと、この50周年にふさわしいかと思います。
2022年4月28日 中西令子
【参考】モンゴル多読ライブラリーで、「漢字ナーダム」を読むことができます。