現場から

 高井戸中学(杉並区)のアンネのバラ物語

今日は、念願の杉並区高井戸中学のアンネのバラを見にいきました。長い間、「ぜひ見に行きたい」と思っていたのですが、5月の数日間だけの公開、仕事でなかなか実行できずにいました。今年初めて見にいきましたが、その素晴らしさに、すっかり虜になりました。

    ※毎年、5月と10月の<ある週の土曜日~火曜日>の4日間公開しているのだそうです。

1976年に3株からスタートしたアンネのバラは、今では260株にまで増え、校門を入って昇降口までの両側を埋め尽くすほどになっていますが、これまでにどれだけの苦労があったことでしょう。現在は、地域・保護者の方々の組織「アンネのバラ・サポーターズ」(旧称「アンネのバラ栽培委員会」)と生徒さん達による「アンネのバラ委員会」とで、栽培し続けているそうです。

    「プリンセスミチコ」

さらに、アンネのバラだけではなく、さまざまなバラも栽培されています。その温かい思いが、大勢の受付け、アンケートデスクなどにいらっしゃる「アンネのバラ・サポーターズ」の方々からも伝わってきました。

  *プリンセスミチコ

  *ノックアウト

  *ミスター・リンカーン

  *プレイ

  *セント・コルベ

     「ノックアウト」

 1.「すぎなみ学倶楽部」アンネのバラが高井戸中学校に来るまで

/https://www.suginamigaku.org/2014/02/rose01.html

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          *泉南中学校の国語授業がスタートだった

  杉並区高井戸中学校の校庭に、第二次世界大戦時にナチスの矯正収容所で15際で命を落としたユダヤ人の少女、アンネ・フランクゆかりのバラがある。「アンネのバラ」の愛称で知られるこのバラは、国語の授業で『アンネの日記』を読み、彼女の生涯を学んだ生徒たちの願いに応えて、1976年(昭和51)年にアンネの父・オットー氏から寄贈されたもの。以来、平和を願う高井戸中学校のシンボルとなっている。スイスから来た3本の「アンネのバラ」の苗が校庭に根付き、現場彙のバラ園になるまでには、「平和のバラをからしてはならない:という多くの人々の努力があった。バラの歴史を振り返り、現在と未来に向けた取り組みを紹介する。

アンネのバラは、1976年(昭和51)年、たくさんの善意の人々の手を経て区立高井戸中学校(以下、高井戸中)にやって来た。当時、国語教諭だった小林桂三郎先生の指導の下、生徒たちの力でアンネの父親オットー・フランク氏よりバラが寄贈されるまでを、関係者の証言と資料でたどる。

以下、記事をお読みください。項目だけ記します。

泉南中学校の国語授業がスタートだった

     *泉南中学校の国語授業がスタートだった

    *朝日新聞に載せた1通の当初

    *京都に咲く「しののめ色」のバラ

高井戸中で「手紙編集委員会」が発足

    *「アンネのバラを高井戸中へ植えたい」

赤ちゃんを裸で連れてくるようなもの

    *スイスから大阪空港、そして都立農業試験場へ

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アンネの誕生日に植えられた3本のバラ

    *願いをこめて、このバラを育てていこう

参考資料:

  「アンネのバラと高井戸中学校のあゆみ」

https://www.suginami-school.ed.jp/takaidochu/img/panfjp1.pdf

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